常識

常識って、と考え込んでしまったのである。

シナイ デオドラント

日記でこれまでに何度も書いているが、私はとある宗教団体に所属している(というか入信している)。もっとも、親が入っていて私も知らないうちに入れられたからであって、別に私が一念発起して信仰の道に踏み込んだとかいう理由ではない。何かやっているとしても、それは習慣だからである。習慣は、やめるのに苦労する場合も多いのだ。色々面倒だし、だったら続ける方がましだ。

私自身は決して宗教的でも信仰的でもないのだが、もはや習慣と化している御参りは欠かせない。なに、月に一度は勉強会に行くのと、同じく月に一度は月次祭というのがあるのでそれに参加する(ってもただ座って目を開けたまま寝ているだけ。祝詞はすでに暗記しているので自動詠唱可)のだが、行くと当然だがそこにいる人たちと会話するのであった。

うちの団体では、ヒラ信者のまとめ役として「世話人」という役職がある。無給のボランティアなのだが(つまり教団の職員ではない)、信者の中でも出来る人が任命されるので、一応私みたいなのにも気を使ってくれるのだった。私の担当の人は、ちょうど私と似たような年齢の息子がいるという老婦人。なかなか出来た人で、頭も切れて宗教信者にしては常識人である

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